戦争に勝ち負けはない

戦争で血を流すのは一般庶民だけで、政治家や官僚は高みの見物だ。

政治家や官僚が、武器を持って戦場の最前線で血を流しながら戦うなど、どう考えても有り得ないからである。

政治家や官僚は、冷暖房のきいた快適な部屋で酒でも飲みながら、何の罪もない一般庶民が戦死するのを他人事として眺め、理不尽な命令をくだすだけだ。

自分たちの正式な軍隊を持ったとしても、痛みをともなうのは、ただひたすら一般庶民である。

日本国憲法を改正する必要は一切ない。

海外では、州憲法と呼ばれて、州ごとに憲法が違っていて、ひとつの国の中にたくさんの憲法が存在する国がたくさんあるので、世界の改憲と一口に言っても、単純に国際比較はできない。

「憲法を改正することができない」と憲法で定めた国まである。

そもそも憲法の一番の役割は、権力を制限することだ。

首相や大臣や知事や首長が改憲しようとするのは、ただ単に、自分の権力を制限されるのが嫌だからだ。

改憲派の主張をよく聞くと、いつも権力ご都合主義である。

改憲派に庶民派は存在しない。

国家試験などで憲法や法律の勉強をすればよく分かるが、憲法を含めて法律というものは、判例の方が法律そのものよりも具体的な役割を果たしているので、日本国憲法は、大まかな理想や理念を掲げていた方が良い。

いざ戦争となったら、庶民はすべて、子どもからお年寄りまで、全員が「死刑判決を受けて何年も死刑を執行されない死刑囚」と同じ心理状態に追い込まれる。

殺すなら早く殺してくれ!とすら思える。

情報は混乱し、デマばかりが流れ、自分の国が勝っているのか負けているのか、それすらも分からなくなり、ただひたすら政治家や官僚の言いなりになるしかない。

それが戦争だ。

戦争になったら、自分や自分の大切な人たちが被害者として犠牲になるだけではなく、極悪非道な加害者にもなる。

自分の子どもや大切な人に、血塗られた武器を握らせて人間を殺させたいのか。

「国を守る」「国民を守る」「日本を守る」は全部デタラメだ。

そんなことを言ったところで、結局、できることは、血塗られた武器を握って、同じ人間どうしで殺し合うことだけだ。

日本が再び正式な軍隊を持ったら「お前がケンカを売った」と言われて、日本を乗っ取る口実を外国に与えるだけである。

日本と近隣国との事情を詳しく知らない遠い国々から見れば、日本が再び正式な軍隊を持ったら「日本は余計なことをした」と反感を持たれるだけで、広い世界から見れば悪いのは日本人の方になる。

日本人だって、日本から遠く離れた国が、正式な軍隊を持っていなかったのに正式な軍隊を持ち出したら「余計なことをした」と思うのと一緒だ。

国家も国民も、荒れ狂った国際社会で生き残るには、強くなければならない。

しかし、その強さとチカラとは、決して暴力であってはならず、賢さや気持ちの固さでなければならない。

そうしないと、いくら強い武器を持てても、最強の兵隊を持てたとしても、逆にそれらを奪い取られるだけで、その奪い取られた武器と兵隊を使われて、日本は滅ぼされる。

かつて我が党代表の祖父も「アジアをヨーロッパの植民地から解放したい」と考え、アジアのベトナムに戦闘機に乗って兵隊として出向いたものの、ベトナムを植民地として支配していたフランス兵に捕まり「アジアがヨーロッパから独立するのを阻止しろ」と命令されて、持っていた日本軍の銃を使って、あろうことか、助けるはずのアジア人に向けて発砲した。

浅はかな考えで、自国で武器を持ったり外国に武器を持たせても、決して武器によって平和はもたらされない。

武器で武器を制しても、また新しい武器が開発されるだけで、何の解決にもならないからだ。

核兵器を持っている国は、戦争に負けそうになったら、核ミサイルを乱射して、全人類を道づれにする。

核兵器を持ちながらの無条件降伏など、するはずがない。

国際社会は、国と国とが同期や同僚で、上司や警察官が存在しない社会なので、結局は、最終的には、話し合いによってしか問題は解決しない。

これからは、日本が率先して、模範となって、正式な軍隊を持たないことを続けて、戦争を放棄し続けて、戦争が起こらない国際社会の仕組みづくりに専念しなければならない。

日本国憲法を改正する必要は一切ない。

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